部屋とYシャツとお菓子(平和)


たとえば紅茶が好きで、おいしいなーと思いながら飲んでるとしよう。
で、飲み終わった時に「ああ、おいしかった」って言うけど
おいしかったよって一番伝えたかった紅茶はもうどこにもいなくて
今度はいなくなる前にちゃんと伝えなきゃ、って思ったりする。

こんなこと、ものに限った話じゃないよね。

飲食物関連でいうと、わたしブロッコリーがどうも苦手で
小学生の頃から克服しようと定期的に食べてるのにも関わらず
一向に食べれるようになる気配がないから
これはブロッコリーへの愛が足りないからじゃないかと思って
高校生の夏休みにブロッコリー育てたことある。

結局いろんなことがあって嫌悪感丸出しのまま育てて
嫌悪感丸出しのまま収穫して
嫌悪感丸出しのまま調理して、嫌悪感丸出しのまま食べて
やっぱりまずくて。

そのときは
世の中愛だけじゃどうにもならないこともあるんだなって思ったんだけど
あれは愛をもって全ての工程をこなさないと意味ないって
最近になって気付いた。

育てること自体が愛だと思ってたけど
慈しみの心で成長を見守ることこそ愛だよね。

愛とは何かを気付かせてくれたブロッコリーには本当に感謝してる。

ちなみにいまだにブロッコリー嫌いは直ってなくて
いっそのこと木になってしまえばいいだとか今でも思ってる。

なんかさ、圧縮率?っていうの?ヤバくない?
ありえないくらいギュッ…ってしてる感じ、ブラックホールができそう。

味もおかしいし食感も気持ち悪いし
ブロッコリーっていう名前もナンセンスとしか言いようがない。

ブロッコリーも多分わたしのこと嫌いなんだと思う。

でも好きの反対は無関心っていうから
歩み寄れたらそのうち好きになれるかもー!って思いながら食べてる。

両想いへの道のりは遠い。

おわり